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古市佳央さん

[写真:古市佳央さん]

古市さん(以下、敬称略):
車は普通に運転しますよ。仕事でも使っているし、不自由はありません。仕事も中古車販売だし、車が好きなんですね。最近は不景気でなかなか販売は難しいです。でも、僕みたいに体にハンデを負っている人間が仕事を出来るだけありがたいですよ。
岩本:
やっぱり、今の仕事に就くまではいろいろとありましたか?
古市:
そりゃ、ありましたよ。まず、僕は手が普通に使えなくなってしまった(熱傷のために溶けて短くなった指がある)ので、細かい作業は出来ない。首や背中など皮膚が突っ張っている部分は伸ばせないから、伸びをするような種類の仕事はだめ。体力も落ちているから無理は出来ないし、顔も変わってしまったでしょ。(眉毛やまつ毛は焼けたためになく、皮膚の移植跡が分かる顔になっている)初めは、自分に何が出来るのか見当もつきませんでした。そのうち、生きるために資格を取ろうと思いついて、興味のあった古物商の資格を取ったのが、今の仕事を始めたきっかけです。中古物品の売買は、この資格が役に立ったけれど、もう一つ必要だったのは、人の信用を得ることでした。この外見ですから、まずは相手と話して自分の事を分かってもらわないといけない。分かってもらおうと必死にコミュニケーションしましたね。友人からは、「お前は一度見たら忘れられない顔をしているから、営業には最適だ」と言われましたが、その意味が良く分かりました。
岩本:
そのご友人の言葉は素敵ですね。古市さんのことを本当に理解し、応援していなければ出てこない言葉だと思います。
古市:
はい。僕もそう思います。熱傷がある程度治って退院し、その次のステップとして社会復帰をしようと思っても、そこに大きな壁があることは事実です。それは、ほかの病気でも同じだとお思います。僕は運が良かったし、周囲の人に恵まれていたとも思います。思えば熱傷を負った後、高いハードルをクリアするときには、いろいろな人との人間関係から、立ち直るきっかけや自信をつけさせてもらったように思います。そこには健康な人達や、自分とは違う悩みを持った人達、また同じ病気に悩む人たちの存在もありました。

事故のあと社会復帰するまでの間、古市さんは病院での生活を余儀なくされました。その入院期間は実に3年。その間に受けた総手術回数は33回、壊死して切り落とされた皮膚は全部で1.5㎏。壮絶な入院生活を送った古市さんは、病院の中で何を感じ、そして何を考えたのでしょう。

古市:
事故を起こしたことで、僕はたくさんの経験をしました。眼の手術の時には見えない不自由。口や首の手術をしたときは、物が食べられず、話すことが出来ない不自由。手や足が自由に動かせなかった時は、自分で何も出来ないという不自由を体験しました。当たり前のことが出来る幸せを、この時まで考えもしなかったのに、たくさんの不自由を経験して健康であることのありがたさを痛感しました。また、自分の体や顔が元には戻らないということで、精神的な痛みも知りました。これは大きな壁でしたね。どう頑張っても限界があるということを受け入れることは本当に大変でした。でも、そんな時に力になってくれたのは、病室の同じ病気の仲間でした。口がきけなくて伝えたいことを伝えられなかった時には、同じ苦しみを体験したものとして考えられることを医療者に伝えてくれたり、これから体験する手術や治療の細かいことを教えてくれたり、知りたいことは何でも教えてくれました。また、「辛い気持ちでいるのは一人じゃない」と感じるだけで、救われたのも事実です。頑張っている仲間がいたから、自分も頑張れた。心からそう思います。そして事故から15年たった今、やっと自分を好きになり、充実した毎日を送れるようになってきました。あの運命の日を認められる日がやってくるとは思いもしなかった。それも全て、今まで自分を支えてくれた人達がいたお陰だと思っています。だから、これからは自分も同じように誰かの役に立ちたいのです。

2002年4月、古市さんは「オープンハートの会」を発足させました。世の中には、自分のように悩みから立ち直れない人がたくさんいることを知り、そんな人たちにこの会に来れば何か立ち直るきっかけがある、また笑えるようになる、と言ってあげられる会を作りたいと思っています。

岩本:
オープンハートの会は、熱傷の患者さんのためだけの会ではないのが特徴的ですね。会員資格は、QOLを向上させたいと考える個人およびその同居家族とありますが、こう定義すると、どんな病気の人も、また病気でない人も当てはまるように思いますが、どうでしょうか。
古市:
このような会員資格に決めたのは、立ち直るきっかけをつかめずに、前へ進むことが出来ない人に、一歩前に進める前向きな会が必要だと強く感じたからです。ではどうやったら立ち直れるのか。そのヒントは、僕のたどってきた過程にありました。確かに、同じ悩みを持つ人たちが集まって、悩みを打ち明けたり、情報交換をするのは大事だし必要だと思います。そのことで本当に助けられたし、それがなかったら今の僕はいないと思う。でも、果たしてそれだけで立ち直ることは出来るのでしょうか?辛い気持ちを分かってもらえたことで、自分が楽になる。でも、それは立ち直りとは違うと思うんです。そこには、健康な人、障害を負った人というラインが存在していて、それを感じているときは立ち直りとはいえないと思うのです。僕が立ち直ってきた過程には、健康な人や健康な女性に認められ、ラインを感じさせない付き合い方をしてもらえたことが、きっかけだと思っています。人間、みんな平等でラインを持たない付き合いをしていけるということを実感できる場にこの会がなっていければ、一人でも多くの人が立ち直り、心から笑える日常に戻っていけるのではないかと思います。

「QOLを向上させたい人」という会員資格は、実は誰でも入会できるという意味でした。この会の懐の大きさを実感します。「楽しく生きていきたい」という同じ目標を目指していれば、健康な人でも病気を持っている人でも良い。それぞれ違う悩みを持っている人、さまざまな障害を持っている人との交流の中にこそ、人生を楽しく生きる秘訣が隠されていると考えるこの会には、今の医療になくてはならない平等の意識を強く感じました。

岩本:
古市さんが今、会の活動とは別にもう一つ取り組んでいらっしゃることがあると聞きましたが、それは何ですか。
古市:
それは、小学校での講演活動です。きっかけは、社会復帰をするときに辛いものの一つに、子どもの視線があったからです。子どもたちは、見た目に障害のある人や、体の不自由な人に出会ったことや触れ合ったことが少ないから、僕のような人を見て、怖い人だと勘違いしているのでしょう。だから、まず慣れてもらうことが必要だと思うのです。そして、僕がした体験を聞いてもらうことは、子どもたちに生死や健康とは何かといった大切なことを考えてもらうきっかけになるのではないかと思います。
岩本:
すごく良い取り組みですね。お話に行くのは、小学校だけですか?
古市:
高校にも行きますよ。自分が高校のときに突っ張っていたから分かるのですが、あの年代の子どもは、教師や普通の大人の言うことは聞かないんですよ。でも、自分と同じ経験をした、先輩の様な人の話はちゃんと聞きます。僕は、教師でもなんでもないけれど、体験者だからこそ、話していることに耳を傾けてもらえるという強みがあると思います。

もしもあの時、事故を起こさなかったら、自分の人生はどうなっていたのだろう。あのまま悪さを続けていたのではないか?人に恨まれるような人間になっていたのではないか?いくら考えても幸せな人生を送っているイメージが浮かばない。そんな時、今の自分は本当に幸せだと思います。

古市:
事故を起こしたあの日を認めることができるようになるとは思ってもいませんでした。でも、たくさんの人との出会いの積み重ねで、僕は最後の大きな壁、昔の自分というハードルを15年経って、やっと乗り越えられたと思います。事故が原因で出来なくなったことはたくさんある。でも、そのことによって得られたものもたくさんある。このことに気付くことが出来ただけで、事故を起こしたことを良かったと思えるようになりました。これからは、僕を必要としてくれる人の力になりたい。そう思っています。

紹介本

這い上がり(Amazon.co.jpへ)
[表紙:這い上がり]
古市 佳央著
ワニブックス
君の力になりたい(Amazon.co.jpへ)
[表紙:君の力になりたい]
古市 佳央著
子どもの未来を考える出版社 北水