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患者の目から見た医療を知る~患者に学ぶ~シンポジウムまとめ

2005年3月6日 (日)に代々木にある国立オリンピック記念青少年総合センターで楽患ねっと主催の初めてのシンポジウム「患者の目から見た医療を知る~患者に学ぶ~」が行われました。

第一部は<実演>廣澤直美さんの「いのちの授業」、第二部はパネルディスカッション「なぜ今患者の声を聞くことが求められるのか?」という テーマで、患者・家族の声を伝えると実践をしている坂下裕子さん、多和田奈津子さん、内田スミスあゆみさん、松月みどりさん、開原成允さんを迎え、白熱したディスカッションになりました。その様子をダイジェスト版でお届けします。

司会:岩本ゆり
「医療者の方に患者の声を伝えるという取り組みを始めたきっかけ、動機をお願いします。」
坂下さん:
「『ちいさないのち』という、病気で子どもが亡くなった親の会の代表をしています。娘が1歳 で突然亡くなりまして、誰にも答えが出せない疑問を問い続けました。治療が叶わない病気に直面した時に医療者、専門職者としての枠を超えた、人間的な配慮 というものにすごく救われている人と、ものすごく傷ついている人がいることを知りまして、医療者に遺族や家族の声を集約した形で届けることで良くなっていくかも知れないと思いました。
それは医療者の現場を変えていくということだけでなく、当事者であるお母さん達のためにもなると考えるようになりました。お母さん達に役割を持ってもらうということで、少しでもこれからの使命感や生きる活力に繋がらないかと考えました。双方の利というものを常に考えながらやっ ています。」
多和田さん:
「私はOLとして働いていますが、16歳のときに甲状腺がんの手術をしました。25歳になった時に悪性リンパ腫の高悪性度のNK/T細胞型という、薬が効いたと思ってもすぐに再発する病気だと言われました。右の副鼻腔が原発で、放射線治療を1ヶ月、そして半年間に渡って抗がん剤治療をしました。
医療のことに関わっている方は自分よりもエキスパートなのだけれど、患者自身が当たり前だって思っていることが実は他の人にとって新鮮であり、驚きであるというのは、大変なことだと思いました。ありのままの患者の気持ちって言うのが出てきていないんだというのが驚きでした。
患者に対して聞く耳を持ってもらいたいのです。聞くというのは二つ意味があって、ちょっとした変化を見逃さない、勘が働くっていう方の 「利く」。もう一つは患者の目線にあわせた「聴く」の方。それを持って欲しいなと思っています。
もう一つは医療情報をオープンにしてもらいたいと思っています。患者に伝える時は、「患者語」に直して医学用語をなるべく使わずに誰でも分かる言葉で伝えて欲しいと思いました。
また、今はインターネットとか、医学書とかには患者が知りたくない情報も載っていることもあるので、自分でどんどん悪い方に考えてしまうかも知れません。それを医療者に軌道修正してもらえると希望に繋がるかもしれないので、そういうことを積極的に知らせて欲しいと思います。」 
内田さん:
「10年前の脳腫瘍とくも膜下出血を併発して7ヶ月の闘病のあと、病院での治療は終わりましたが、その後は半身不随でさまざまな後遺症が残っていたので、1年間のリハビリを行いました。その後は日常生活に戻れています。今患者になって、何で健康な時にもっと考えておかなかったんだろうと思いました。患者になってからでは怖くて考えられないけれども、健康な時こそ医療について、自分の大切な人が病気になった時にどうすればいいかということを考えるべきじゃないかということに気がついて、人間の心にはいろんな壁があるなということにようやく気がつき始めました。」
松月さん:
「私は看護師ですが、患者さんにとって一番いいケアということはなんだろう、何を基準に判断すればいいのか判らなくなってきたのです。
私は医療のリスクマネジ メントを行っており、クレームという患者さんから様々な声を伺います。内容はすべて過去の結果に対してなのです。ではそれがすべてなのか?何も発言されない方はどう思っていらっしゃるのだろうという疑問がいっぱい出てきました。
「こんな呆れた病院」と評価された方は黙って別の病院を受診されるとおもいま す。わたしたち医療者は本当の気持ちどんな方法で知ればいいのだろう。それに対する答えは出ていなのです。考えていきたいと思っているところです。」 
開原さん:
「私は医者ですが、医療を本当に必要としている患者さんのところに届けなければ意味がないので、そのシステムをどうやって作るかが私の生涯の関心事です。病院 長をしていた時代のことですが、病院は一体誰のものかと言うことを考えると、医者のためでもない、看護師さんのためのものでもない、当然患者さんのためのものです。しかし、病院の運営をしてみると、患者さんの意見を聞く場がないということに気がつきました。
しかし、その時困ったのは、患者さんの中の誰の意見を聞いたらいいのかという問題です。患者さん方はそれぞれ個人の意見を言われる。それは一つ一つもっともなのですが、個別的な意見は病院になかなかそれは反映できない。私が今考えていることは、患者さん方の意見が、個々の意見としてではなくて、集約された形で日本の医療や病院を変えるように反映される、 そういうシステムができないものだろうかということです。」 
岩本(ゆ):
「患者さんが声を出すということに対して、たくさんの方法があると思います。ただ、その中で、まず何でそのことが求められるのか、何を伝えたいのか、そういっ たところの議論がまだされてない様に思いまして、今回、私たちはこういったシンポジウムを設けています。まずは何を伝えたいのかというところをお話いただきたいのですが。」
坂下さん:
「小児医療のことは、最初は全然どこからも手をつけようがないと思ったんですね。結果的にはその時には手のつけようがなかったと思ったことにも、だんだん繋がっていくようになっていきました。
私がしたかったことはやはり組織として声を届けることだったんですね。どうしても、特に遺族となりますと一人一人の言葉だと重いんですね。聞く方も、ものすごく距離を置いてしまう。会として、一人一人の話をじっくり聞くということを私たちがして、何かフィルターのようなものを通して、お一人の言葉がすごく有益な情報となっていくようにということを考えることが組織なのではないかと考えています。
よく話す話なんですけれど も、命を助けることという時、漢字で書いて私は説明するんですね。「命」を助けて欲しいんだって。だけど、命は助からない場合、ひらがなの「いのち」って 思い浮かべてみてくださいって言うんですね。ひらがなの「いのち」って従来医療者が向き合ってきた、漢字で書くところの「命」と少し違った意味が見えてく ると思うんですね。もっと幅を広げると言う感覚がしませんか。ひらがなで書いた「いのち」もカバーする、そういう医療であってくれることを願って、これをシステムとして育てていきたいと考えております。」 
岩本(ゆ):
「何を医療者に伝えて欲しいと思っているのか、どういったことを医療者にフィードバックしてくれれば、医師、看護師が今後患者のために行動を起こしていくことができるのか、お考えをお聞かせください。」 
開原さん:
「立場の違いは、超えられないものがあるという気がしています。つまり医者の立場は医療を供給する側の立場ですが、医療を受ける方の立場とは明らかに違います。発想も違うし、考え方も違うし、感情も違います。立場の違いは、そう簡単に超えられないし、また無理に超える必要もないと思っています。むしろ、その違いを認めた上で、相手をよく理解する必要がある。
医者の立場になってしまうと、患者さんが何を考えているかが時に分からなくなります。それは患者さんに言ってもらって初めてわかるんですね。従って、コミュニケーションの場がどうしても必要です。
そういうと、医者と患者は絶えず話をしているじゃないかと言 う人もいます。ところが、医療の場ではダメなのです。医療の場は、明らかに立場が違った人が、その立場を背負って話をし合っているわけですから、本当のコ ミュニケーションは成り立ちません。それとは違った場、つまり医者と患者が対等な場で医療関係者に患者さんの意見をフィードバックしていただく。それが非常に大事だと思います。この場を含め、そういう場が最近出てきたことを大変嬉しく思っています。」 
岩本(ゆ):
「今、 開原先生がおっしゃった、目の前の患者さんと話しているからいいじゃないかというのは、まさにこういう会をやろうと思ったきっかけだったんですが、私たち はやっぱり場を別に持つことで意味があると思っています。実際に講演活動をやっている中で、難しかったことをお聞かせください。」
坂下さん:
「立場の違いとおっしゃったのは本当にそのとおりですね。私は、文化の違いって言っているんですけれども、生きている、立っている文化が違うんですね。立っている場所も世界が違うなと。文化が違う、言葉が通じないくらい違うといってもいいんですけれど。
違いは違いでいいんじゃないかとおっしゃったのは、本当にそうですね。医療者というのは病気を体験したからではなくて、勉強して分かるわけですよね。患者は経験的知識を蓄積して、その体験をたくさん集めて、情報化していくというのが患者会とかですね。
必要なのは、お互いに尊重しあうという関係性じゃないかと思うんです。一つの案としましては、選択肢を設けると言 うことが医療者にしかできないことだと思うんです。現段階でできる、医療の中でできる援助がどれだけの種類があるか分からないとますます家族は要望もでき ないし。その選択肢があがったら、選ぶと言うことから自己決定に繋がって、応えてもらえたという気持ちから、自分がじゃあ次、もう少し何をして欲しいか、 どういうことに困っているかっていうことに繋がりますよね。導入のところがまだいけていないという気がするんですね。」 
開原さん:
「おっしゃることは非常によく分かりますし、最終的には人間性の問題になってくると思うんですが、ただですね、すべての医者にそれを要求するのは無理ではないかって言う感じがするんですね。
それである程度分業体制でいくしかないんではないかっていう感じなんですね。それは非常に専門医の技術を持っているような人はですね、その技術をどんどんどんどん使ってたくさんの患者さんを治療するとをやってもらった方がいい場合があるわけで、その後の心のケアの問題は看護師さんにある程度任せるとかですね。後はですね、フォローアップしてくれる家庭医みたいな人がいたら、その家庭医にやってもらうとかですね、なんかそうい う分業体制をある程度考えていかないと本当の意味で、医療全体を良くしようと思ったら一つはチーム医療とか、分業体制とかそういうものを考えざるを得ないとそう思っています。」 
内田さん:
「一点だけちょっと、立場を分けるという時に、一番私が危惧を感じているのは、看護師さんに任せたから、じゃあ、患者さんが医師に話す内容を伝えなくも看護師さん経由でくれば良いやって言う風に思ってしまう医療者、医師が増えてしまうことはやはり危惧です。確かに役割分担は必要だと思うんですが、自分の領域でないことに関して無関心になってしまうことは患者としてはやはり危惧があります。
それから、実は患者の家族として治療方針を決めるときに、同じような立場に立った患者さんはどうしたのか、何を悩んだかということを情報として提供していただけたらすごく心強い。医療者には出せないヒントがいっぱいあると思います。
ただ、やはりある意味素人なんですね。その社会資源を使うときに、医療者側が補足してくれたり、誤解を直してくれるような形にしていただくと最大限利用できるのではないかと思います。素敵なものが社会にあるのに、経験者がいっぱいいるのに、それを安全に持ってくるためにやはり医療者側のサポートが必要だと思いました。」 
多和田さん:
「立場がどうしても違うというのは私もよく分かるんですけれども、それは医療者の方が仕事として考えていて、患者は病気・治療を仕事として考えていないからと いう意味で立場が違うって言う風に思うのかなと思いました。わたしは、二人三脚で病気を治すパートナーだと思っているんですね。そういうことをわかった上 で、横に並んでいただきたいと思っています。」 
開原さん:
「私はおっしゃることは非常によくわかるんだけれども、医者というのを聖人君子かまたシュバイツァーみたいな人だと、すべての人がそうあるべきだと言うのは無理があると思うんですね。やっぱり医者って言うのはプロフェッションとして、職業として医者をやっているんだということをですね、患者さんも理解していただく 必要があるんじゃないかなという感じがするですよね。職業を、善心を、良心をもって職業を実行しなきゃいけないわけではありますが、やっぱり職業なんだと思うんですよ。一人の医者に対して、何人もの患者さんを受け持っているわけです。患者さんの立場では医者を全部自分で独占したいという気持ちになるのは当然のことなんですけれども、それはやっぱりできないんですよね。」 

シンポジウムの時間も迫り、ここからは、フロアからの発言となりました。最初の方は、3年前に乳がんのオペをした方で、ご自身の体験をこれから周囲の方に伝えていきたいという思いを訴えられました。また、慢性疾患(膠原病)の患者会を主催している方や医学生から、医者も過労死している。医者も大変なことを分かって欲しいという意見がありました。 

坂下さん:
「私は患者に患者を育てさせ、市民に市民を育てさせようと思っています。患者に患者を育てさせるために、ちゃんと対等な立場で会議に出席できる人を、医療者の会議の中に入れていくべきであって、双方が持っている情報を開示して、そして、応援を求めて、最初から患者が患者を育てることをやろうと思っています。」

またフロアからは、医療系の学生団体に参加しているコンサルタントの方から発言がありました。「患者自身が医師の忙しい時間を無駄に使っているのではないか。医者は時間を捨てている。患者は何かを捨てているのか。簡単に病院にかかっていなかったかどうか振り返ってみて欲しい」との意見もありました。

岩本(ゆ):
「今日はありがとうございました。私自身の感想を述べさせていただきたいのですが、ボタンの掛け違いがいっぱいあるのかな、立場の違いというお話を聞いて思ったのですが、立場ではなくて、役割の違いが歴然としてあって、それを立場と表現していて、医療者はこれは役割だと感じて、患者さんはれっきとしたものすごい差があると感じているのかなという風に思って、もっともっと話し合いが必要だろうなと。
そして医療者は悩んでいることももちろんなのですが、医療者以上に私は患者さんはものすごく傷ついているんだろうと思います。医療者が患者になるって言うことを絶対に忘れないようにしなくはいけなくて、そういった場を作ることが必要で、その中で患者さんから学ぶことが必要である。
具体的に何を学べば良いのかというと、医療というのは治療を主眼においてきたので、それを越えた部分、今みたいな気持ちの部分って言うのは私たち医療者はわからない部分、それを聞かなければいけないですし、それ以外の死に対してどう考えていっ たら良いのか、答えられない部分に対してどう考えていったら良いのか、それに答えるのは医師なのか、看護師なのかそういったことを私たちは今まで、ないがしろにしたまま役割分担の中でやっていたのではないかと思います。
患者さんから学んで、患者さん自身が開拓していかなければいけないこともたくさんありますが、患者さんの声を聞いて、医療者の中で変えていかなければいけないこともたくさんあると思います。今後もこういった場が、できれば病院でもてたらなと思っていますので、もし病院関係者の方がいらっしゃいましたら、私たちに声を掛けて下さい。それから患者さんでこういったことを話していきたい、自分の気持ちを還元して行きたいと思う方もいらっしゃいましたら声を掛けて下さい。本日は皆様、どうもありがとうございました。」

パネルディスカッション終了後には、部屋の一角をつかって懇親会の時間を取りました。パネラーを囲んでのミニディスカッションや、参加者同士の交流の場として終了時間が過ぎても熱心に語り合う人々の姿が印象的でした。

参加者約70人で終了したシンポジウムでしたが、その後の感想には、多くの声が寄せられました。内容は大別するとほぼ同数で二手に分かれました。
一つは

  • 患者さんがここまで前向きな提言が出来ることに驚いた
  • 患者さんが語ってくれなくては、何が大切なのか、自分たちの行っている医療がどう評価されているのか分からない、もっと語って欲しい
  • 患者さんの声を聞いて、これから自分がどうやって看護をしていったら良いのか、どんな医師になるべきなのかのヒントを頂けた

もう一つは、

  • 患者さんの我侭にしか思えない。
  • これからは医療者ではなく患者が学ぶべきだ
  • 医療者は精一杯やっている、今の保険診療では、これ以上は無理
  • 病院では自分の時間のある限り精一杯やっているにも関わらず、患者さんからマイナスの評価をされることは辛い

というものでした。なぜ、このような対極とも思える感想が多数寄せられたのでしょうか?それは、このシンポジウムが参加した方一人一人の本音を引き出すことができたから、ではないかと考えています。

医療者は強く弱音を吐かない存在、患者は弱く文句は言わない存在、そんな既成概念を打ち破り、同じ土俵で意見を交換し合うという状況に立ち会って、参加した方の心の奥にあった、建前から離れた本音が、浮き彫りにされたのではないかと感じています。

それでは、シンポジウムの命題であった「なぜ今患者の声を聞くことが求められるのか?」という問いに対する答えは得られたのでしょうか?残念ながら、今回のシンポジウムでは、得られなかったように思います。今回得られたことは、「患者さんが語ることとはこういうこと」だという事実と、「医療者側の本音」、「患者さんに今 求められていること」の3点だったように思います。

 医療者側は、患者さんの声は必要ではあるが、自分たちを攻撃されるのは困るという防衛策を張っている現状が見えてきました。そして、患者さん側にも権利だけではなく、義務の部分を語って欲しいという要望があることが分かりました。そして、患者さんが医療にとって有益に語ることが出来るということは、理解された方もいれば、そうでない方もいらっしゃいました。 

 次回のシンポジウムでは、「なぜ今患者の声を聞くことが求められるのか?」を再度話し合うために、医療者・患者、両者の問題点を整理し、その上で患者の声は有益であるのか、そうであればどう生かしていけば良いのか、について話し合っていきたいと思います。次回もどうぞよろしくお願い致します。

(2005/6/20 文責:宮坂友美・岩本ゆり)